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マニ宝珠⑳ [小説「マニ宝珠」]

【ご注意】気分を悪くする文言が含まれます。<(_ _)>



城門前に焚かれた篝火の灯りが完全に見えなくなった。

幌に覗き窓がないので外を窺うことはできないが、

出入り口から垣間見えるのは漆黒の闇しかない。


「‥クルルゥクに着く前に尻が割れそうです‥‥」


マデュークの冗談に皆が笑った。

幌の中は狭く、角灯の灯りで互いの顔が分かるくらいには明るい。

そもそも野菜や水樽を運搬する荷馬車に、四人が乗り込んでいる。

御者側も二人が座っているので、いささか定員を超えていた。

持ち込んだ手荷物で間隔も無く、寝そべるどころか足も伸ばせない。


「クルルゥクから一番近いオビィロ村でも徒歩で大よそ‥四刻はかかるか」


セルジオ直属である騎士隊は冬を前に野営訓練が行われるという話だ。

マデュークらの上役で隊長のアキューロが隊員の自己紹介を兼ね、

騎士として積んだ修練の経歴を語ってくれた。

オビィロ村から南東へ三日かけて移動し、各営所に分かれる。

現役の騎士から語られるありのままの軍隊の厳しさは、

ルナンサンも真剣に耳を傾けて聞き入った。

狩猟用罠と偽装の手法についての解説はとても興味深いものであるし、

話は陣地設営や夜間訓練‥、リルム山麓の北側に広がるリルムンガン、

通称リルム台地へ赴いて一番辛い登攀訓練の体験談に及んだ。

一瞬、話が静まった時に外で人が物音を立てていることに気づく。

御者を務める騎士へ何事か尋ねると、

目印に立てた松明を回収して前方へ走っていく人影があるという。


「幾つかは残して、人夫が交代で回収しているんですよ」


残した松明は戻ってきたときに持ち帰ればいいし、

道標にできるということらしいですとマデュークが話してくれた。

よく考えたものだと感心するルナンサンはふと気づく。


「この暗闇の中を迷わずに進めているようだが、何故かな?」


実は結界に閉ざされ脱出できなかった市民たちが、

来た道を戻る際に持ち出した荷物を道端に放棄していた。

点々と落ちている物を辿って進めば、迷うことはない。

結界を突破し得るならば、市民を誘導して脱出させることは、

難しくはないのでなかろうかとルナンサンが疑問を投げかける。

アキューロは尤もだと首肯するが、今は答えられないとはぐらかされた。


メガロポリスが暗闇に覆われた夜。

メガロポリスの周辺集落を襲った魔物の一部も結界内に取り残された。

暗闇の中を無事にメガロポリスに戻ってこられた市民の証言と、

捜索に出たセルジオの騎士の奮闘により、もたらされて判った事である。


後で知ることになるが‥メガロポリスが怪異で混乱している最中、

結界の外に出た人々を追って、魔物は近郊の町を襲撃していたのだった。





メガロポリスを出て、結構な時間が経った気がする。

荷馬車の列は驢馬の足に合わせて、ゆっくりと進んでいた。

そろそろルナンサンの尻も辛くなってきたが‥。

何か騒々しい‥! 前方から蹄の音と掛け声が近づいてくる。


「停まれ―」「全体停まれ―っ」


前方で何かあったようですと、御者台に座る騎士が知らせる。

頃合いを見計らって、素早く降りたマデュークが道板を架けた。

続いて剣を提げたアキューロらも降りて走っていった。

さて、どうしたものだろうか‥‥?

遠くで角灯を翳して停止の合図を出している騎士と、

その後をついていくアキューロたちが走って行くのが見える。

この緊迫した空気を読んだルナンサンだが、

一人で待つのは心細さを感じ、皆の後を追いかけることにした。

その途中で、神殿騎士が人夫たちを連れていくところを目撃する。

彼らを何のために集めているのか、隊の最前列に着いてすぐに分かった。


ルナンサンが着いて目にしたのは、

放置された馬車に縄が掛けられ、道の脇まで引いている作業だった。

見れば、その先も数台の馬車が放置され道を塞いでいる。

道には大小の荷物が散乱し、取り片付けも人夫たち総出で行われていた。

アキューロたちは手分けして、人夫たちの陣頭指揮に当たっている。

ファフロベティウスの指示で神殿騎士たちは作業の警備に立ち、

車列の警護に当たるため、数名が隊の後尾へ駆けていった。


様子を見ていたルナンサンは奇妙なことに気が付く。

呼子笛の合図がない。号令や気合を掛ける声すら憚るように、

作業をしている者は皆、口元を布切れで覆っているのだ。


さらに注意深く観察すると、

角灯の灯りと手振りで大まかな指示が行われるようである。


(大きな音を立てると、何かまずいことがあるのだろうか?)


そう推測したのは出立を待つ間、馬に口枷を嵌め、

嘶くのを抑える漏音対策をしているのを知ったからだが。

しかし、それには幾つか疑問がある。

荷馬車の車列が立てる音と振動は、結構な騒音がしていたはずだ。

しかし今のところ、特に問題は起きなかった。

不意の襲撃を警戒するのに越したことはないということか。

などと考えているルナンサンの見ている前で作業は淡々と、順調に進む。


(‥今更、腕力のない自分が出て行っては却って邪魔になるかもしれぬ)


戻ろうとして、車列から犬がけたたましく吠えているのが聞こえた。

一向に止む気配はなく、何人かで犬を制止しようとしている声もある。

‥‥とてもまずい事が起きたのを直感した。

すぐに神殿騎士と、ファフロベティウス自らが駆けていくのを見て、

ルナンサンも急いで現場へ走る。



ルナンサンが着いた時、一台の馬車の前で騎士たちが集まっていた。

殺気立った罵声に加えて、肉を打つ鈍い音もした。

‥とても近づける雰囲気ではないが、暗くて何も見えない。

気分の悪い光景を見ることは覚悟の上で、見届けたい気持ちが勝った。


‥! 裏から回って、前で停まる馬車の後ろ。

あの辺まで近づければ、会話くらいは聞き取れるかもしれない。

身を隠しながら近づいて、前の馬車の車輪の陰へ素早くしゃがみこむ。

幸い見張る者はいない。馬を刺激しないように静かに足を忍ばせて、

騒動が起きている馬車の真後ろに回り込むことができた。


普段は臆病で揉め事などに興味を示す気質ではないが、

鉄の桶を金棒で叩いているような罵声を聞いて反感の念を抱いた。

この時は半ば強い怒気に後押しされる形で、

ルナンサン自身も驚くほど大胆な行動を取ったのだった。



「‥‥はないわ! 軍法に照らし、そなたらの首を掻っ切っておるところだ!」


聞き捨てならないファフロベティウスの言葉に、

すすり泣く子供と、必死に弁解する男女の声が聞こえる。

咎を受けている原因は飼い犬を持ち込み、外に出してしまったことだろうが、

生命の処断に及ぶほどの違反であるとは思えない。

憤りを覚えるルナンサンだが異論を差し挟める権限はない。

固唾を飲んで聞き耳を立てていると、伝令らしい騎士が到着したようだ。

報告を受けたファフロベティウスは指示を出して戻っていく。

残った神殿騎士らが、家族を馬車に戻す様子なのを見届けたところで、

ルナンサンも見つかる前にその場から距離を置いた。


( ‥‥)


そういえば、犬はどうなったのだろうか‥‥。

振り返って目を凝らすが、現場には誰もおらず真っ暗で何ら発見できない。

‥かといって、近づいて行って “それ” を確認するなど‥‥。


(肉を打つ鈍い音。あれがそうだったのだろうか‥‥)


荷馬車へ戻るルナンサンの心は沈んでいた。

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