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マニ宝珠⑲ [小説「マニ宝珠」]

セルジオは大聖堂に建つ鐘楼のテラスに移り、行進を眺めていた。

煌々と照らされた大通りに詰めかけた観衆と、

悠然と進む神殿騎士隊らに送られる大きな声援は城外にも届いているだろう。


揺るぎない軍の威光を示し、市民に希望を持たせようという、

セルジオの思惑は当たった。人々の不安を拭い去ることができたようだ。


「大成功ですな」


テラスから下りてきたセルジオに、

安堵した様子のメルチェコ司教が歩み寄って感想を漏らす。

首肯しつつも、セルジオは今後の市民に募る “不満” にどう対処するか。

空を見上げれば、暗澹たる暗闇ばかりで一条の光陽さえ射さぬ。


「餓死する者が出る前に、正気を保てぬ市民も出てきましょうな」


メルチェコ司教は書面に、援軍を要請したことに加えて自身が、

メガロポリスから退避する考えはないとの決意を書き記したと話す。

セルジオは感謝を述べつつも先の見通しを示せぬままでは、

最悪の場合‥暴動も起こるだろうとして軍による鎮圧の可能性を率直に述べる。


非難はしないが、首を振って反対の態度をとるメルチェコ司教は方策を尋ねた。

セルジオは混乱が起きないように何れ新たな布告を出すと話し、

アルマラカルでの食料調達が思わしくない結果であれば、

首府カルナザルディアの管轄するクルルゥクの軍糧備蓄庫から、

了承なく搬出させる指示を下したと明かす。


「‥籠城の要は、彼らがアルマラカルから援軍を連れて戻ることが前提です」


援軍の望めない状況が確実なら‥‥、

メガロポリスから速やかに市民を退去させると。

メルチェコ司教は頷いて、セルジオの方針に異存はないとして承諾すると、

修道僧らと連れ立って居室へと戻っていった。





窓から手を振る女たちへ、ファフロベティウスは にこやかに手を振り、

沿道の御婦人から声が掛けられれば、唇に手を当てて応えた。

配下の若い神殿騎士らも市民に笑顔で応える一方で、

硬い表情を崩さず付き従う古参の騎士も見受けられる。

神殿騎士隊の後ろ、騎乗するセルジオ配下の騎士に随伴する従者と、

少し浮いた印象を受ける旅姿のルナンサンは歩いて行進していた。


街燈の下に居た若い娘が前方を進む年若い神殿騎士に駆け寄って、

赤い襟巻きを渡したのをルナンサンは目にした。

若い神殿騎士は隊列から離れて馬を止め、娘と親密そうに話をしている。


「羨ましいなぁ。私も正式な騎士になって所帯を持ちたいです」


若いマデュークは昂然として意気込んで、

窓から手を振る女性に手を挙げて満面の笑顔で応える。


「旦那さま~」


ルナンサンを呼ぶ聞き覚えのある声の方を振り返ると、

スーサンと肩車されて手を振るのは次女のバレリーナだ。

人だかりで見えないが、傍に長女とステラは一緒にいることだろう。

手を振って微笑み返すルナンサンの心に、妻メアリの哀しげな顔が浮かぶ。

不安を感じさせないよう‥或いは、

自身の怖気を振り払うために満面の笑みをつくる。

そこへ先ほどの若い神殿騎士が、娘との別れを済ませて隊列に戻っていく。

前を横切るのは一瞬であったが、心淋しげであり‥目は潤んでいるように思う。

ルナンサンは何度も振り返り、スーサンたちの姿が見えなくなるまで手を振った。





行進は大通りを抜け、南門前の広場に着いて止まった。

広場には御者と人夫が集められており、

整然と並んだ荷馬車と、似つかわしくない華美な貴族馬車も見られる。

楽隊はここで解散となり、出立直前の旅支度のため小休止が取られた。


水差しを持った女たちがファフロベティウスらに飲み物を配り、

ルナンサンたちには大きな水瓶が運ばれてくると皆で喉を潤した。

マデュークたち従者は、井戸から汲んだ水桶を持って馬の世話している。

ファフロベティウスら神殿騎士たちは慌ただしく、

ひだ飾りをあしらう羽織や羽帽子の儀礼用の装いから、

甲冑や鎖帷子の上にフードの付いた外套の出で立ちに着替えていく。

長い髪を結わえて目だし帽を被れば、

一目ではセルジオの騎士と見分けられなくなった。


やがて使い番の兵士から最後尾の馬車に乗るよう指示を受け、

併せて騎士には後方の警戒と隊列の警護が任される。

笛の合図に振り向くと、松明を持った兵士たちが一斉に城門の前へ集まった。

緊張した面持ちで数人の神殿騎士が、

ファフロベティウスから指示を受ける様子が見えた。

しばらく見ていると城門が開いて、

ファフロベティウスの号令で先発の騎士と、

集められた兵士たちが外の安全確認に出ていく。


「我々は最後ですから、もうしばらく掛かりますよ」


緊張した様子のルナンサンを察したのだろう。マデュークが話しかけてきた。


「それならば、厠を済ませておこう。すまないが‥‥」


あなたを置いてきぼりにはしませんよとマデュークは笑って、

城壁に設えてある厠の場所を教えてくれた。


小用を足して戻ろうとしたルナンサンを呼び止める小さな声に、驚いて振り向く。

ステラと手を繋いで長女のリーリエが立っていた。

歩み寄ってステラを労うと、リーリエを抱きしめて頭を撫でてやる。



‥やあ。愛しいお嬢さん。


「こんな所まで見送りに来てくれて、ありがとう。ん‥?」


大事そうに、差し出された小さな手に握られたのはエキザカムの花だ。

そっと手渡したリーリエは気恥ずかしそうに、そっぽを向く。


エキザカムの花言葉は “あなたを愛します”。


紛れもない。私が妻へ求婚した時に贈った思い出ある花だ。

妻メアリに託された伝言の花を届けたいと、二人は門の前で待っていたのだろう。

妻と二人の気遣いに感じ入ってしまい、思わず涙が零れた。

私の頭を撫でるリーリエの手をとって、キスすると妻へ感謝の伝言を頼んだ。

ステラと一緒に手を振る愛娘の姿を惜しみつつ、吹っ切るように小走りで戻った。


「こちらです、ルナンサン殿~。お早く―」


一台の幌馬車からマデュークが呼ぶ。差し出した手を掴んで馬車に乗り込んだ。

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