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マニ宝珠㉗ [小説「マニ宝珠」]

また、数体の遺体と幾つか鞄や荷物が散乱している。

ジュネイの指示で騎士たちは先を進み、

後に続く人夫たちで車列が通り抜けられる幅まで片づけて進む。

人夫頭が平然と手を伸ばして遺体の襟を掴んで上体を起こす。

近くにいた仲間を呼んで、足首を持たせると振り子の要領で放りあげた。

遺体の片づけを頑なに拒む者、気味悪がって尻込みする人夫もいるが、

多くは協力的で事もなげに作業をこなしていく。

ルナンサンも手を貸しているうちに、頼もしい人夫たちと打ち解けてきていた。

隊は順調に道を進んでいる。時間が経つにつれて、誰しもおかしなことに気付く。


「うむむ・・・おかしいぞ。進みだしてから何時になる? もう、着いていい頃合いだ」


焦りを見せるジュネイ。堰を切ったように、神殿騎士たちの間から同意見が挙がりだす。


「この視界の悪さです。慎重に進んできたつもりでも・・・道を誤った可能性も?」


アルマラカルへ続く街道は、疎らに広がる田園に通じる大小の農道と結んでいる。

農道と言っても作物を満載した荷車と、牛や羊の群れが脇をすれ違える程度に道幅は広い。

道標や立て看板などはないものの、遭難することなど微塵も考えていなかった。


何故なら誤って迷い込んだとしても、その先は農地に続いているのみで道が無くなる。

村や集落へ向かう道は一旦、メガロポリスを経て直結しているのだ。

つまり、街道を真っ直ぐに城を目指し、城壁の外角を眺めつつ沿道を経て行き来する。

この街道のどこで迷い込もうと農地ばかりで、道は袋小路で街道へ引き返すことになるのだ。


・・・筈なのだ。筈なのだが‥。


暗闇と不意に発生した霧の中でも、放置された馬車を辿っていれば問題ないと思われた。

方角に問題はないと報告した騎士が呼ばれ、

彼と共に再びコンパスで方位確認を行うジュネイらは驚愕する。

コンパスの針が明らかに、おかしな動きをするからだ。

回転した針は左に振れ、止まるかと思うと右に振れ続けたまま。

誰よりも驚いて狼狽えているのはコンパスを預かり、問題ないと報告した騎士である。

再び止まろうかと思えば、スーッと針はコンパスを預かる騎士へ向かって動く。

コンパスの挙動は見た者全てが不可解に思い、

何か仕掛けられているのでは? と考えるほど奇妙だった。

コンパスを任されたことは名誉であり、この騎士が悪戯で虚偽を報告をしたとは考えにくい。


・・・


騎士たちの後ろを付いていくルナンサンたちに、

霧で霞む漆黒の闇の先から、微かに漂ってくる風と共に土埃が運ばれてくる。


——く、臭い!!


ルナンサンは布で鼻を覆っていたのだが、それでもなお酷い悪臭が鼻をつく。

腐臭とも汚臭とも違う、強烈な獣臭さと‥薬品が焦げたような臭気。

気分が悪くなったルナンサンは、片手で鼻を覆って周囲を警戒する。

そういえば‥‥霧に包まれてからだろうか。

魔物は退いたというのに、未だどこからか漂ってきているようだった。


(これは、魔物の術中に嵌められているのではないだろうか・・・?)


そう思った時、再び恐怖が膨れ上がった。禍々しい記憶が呼び起こされていく。

募る不安感に居ても立ってもいられなくなったルナンサンは、

ジュネイの判断を仰ごうと思い立ち、駈け出すと急に足が竦んで転倒した。


――ッ、身体が‥いうことを利かない・・・!


本当に急な出来事だった。

膝の力が抜けて姿勢を崩し、そのまま前のめりで地面に突っ伏してしまったのだ。

すぐに起き上がろうとして、体が重い。何者かが背に負ぶさっているようだった。

一気に胃の中がせり上がり、呻いてルナンサンは嘔吐する。

薄っすらと感じていた違和感は今、はっきりと警鐘なのだと確信した。

周囲へ助けを借りようとするが、激しく動悸がして息が乱れ声が出せない。


「えぇ‥っ? 大丈夫ですかい・・・」


唐突に苦しみだしたルナンサンの様子を見かねた人夫が、

仲間を呼んで、一先ず指示を仰ぐために騎士が呼ばれた。

ルナンサンは言葉を発しようとするも、再び嘔気に見舞われる。

まるで、馬車を全速で走らせた直後のような酷い気分だ。

突然の事態に焦って、とにかく体を起こそうにも咽て、しばらく動けそうにない。

人夫の介助を得て、上体を起こしたルナンサンは胸倉に手を当て息を整える。

今も、みぞおちを拳で小突かれたような最悪の気分だ。

焦燥する頭で、何とかしなければと人夫たちを見渡すとおかしなことに気付いた。


(そんな‥‥。体の不調は‥、 ・・・ ・・・自分だけか‥‥?)


人夫たちに、やや疲れた素振りはあるが見た限り誰もいないようだ。

布や手で顔を覆う者はおらず、具合が悪そうな者も見られない。

不可解な事に気付くと、この突発的な心身の変調には身に覚えがある。


‥‥これはきっと、魔術に因る影響だ。


感じていた違和感は魔力か、既に魔法に掛けられたことに因るものか。

不意に膨れ上がる恐怖と、体が動かせなくなった事に加え、気分も悪い。

ふと微かに熱を感じて視線を落とすと、腕輪が鈍い光を発してるように視えた。

解った気がする。この腕輪の奇蹟は魔物を退けるような強力なものではないようだ。

メルチェコ司教の説明では、腕輪の所持者が念じるだけで奇蹟を起こすと言っていた。

神秘の護身具だというのが真実としても、今のルナンサンは使いこなせてない。

それでも、悪意ある魔法の有無を感知できるようになった。

・・・かもしれない。まあ、そうだとすれば本来は門外不出の聖具を、

旅路の安全のためと自分に授けてくだされたのも十分納得がいく。


人夫たちが平然としているのは何故だろうか?

魔物との遭遇を思い出そうとすると、う‥っ‥頭が・・・心が拒絶する。

姿をはっきりと見た記憶が・・・見た筈だが、断片でしか思い出せない・・・。

いや、魔物が向かって近づいてきた時、あの赤い眼だけは鮮明に記憶している。


(‥‥私は、あの時に精神に深い傷を負わされたか、呪われたやもしれぬ)


危険は承知の上で臨んだ任務。

セルジオに成果を期して意気揚々と出発したというのに‥‥情けないことだ。

前向きに考えるなら、この身をもって異変を感じ取る能力を得られたともいえる。

程なく、一人の騎士が従者を伴ってルナンサンの様子を確かめに来た。

従者がルナンサンの容体を診て、カシアの粉薬の使用を提案し騎士の許可が下りる。

薬を飲んで頭痛と嘔気は徐々に収まり、受け答えもできるくらいに回復した。

介抱してくれた皆へ礼を言うのもそこそこに、ルナンサンはジュネイの元へ同行を願い出た。


・・・


「・・・証明はできませんが、魔法に掛けられている気が致します」


意外にも、ジュネイはルナンサンの憶測の話を聞いてくれた。

特に疑うことも慌てる様子もなく、ジュネイは後ろに控える騎士らと協議する。


「脇道に入ったとして、こう当て所もなく彷徨う態というのも妙ではある‥‥」


騎士たちも困惑しているのだった。だが、ここで引き返すべきという提案は出なかった。


「二千歩を五度までは数えております。‥もう少し進めば着くのではないでしょうか」


隊の歩みを緩めて周辺を探らせつつ、現在地の手掛かりを掴む指示が下され、

従者たちが後方の人夫らの歩みを緩めるよう伝令に走っていく。

一先ずジュネイは隊の方向転換で起きうる混乱を避け、"警戒態勢" を取った。

果たして、探らせていた騎士から一報がもたらされる。


「この先へ進んでいくと南の墓地に行き当たる。柏槇の木と慰霊碑も確認された」


つまり、『イクアークヴァラビーヤ(隻眼の狼)の墓標』で間違いない。

且つて侵攻してきた朱国がメガロポリスを包囲した際、ここに陣幕を張った、

"ガルミア・マハーラーナー・イマンダリ" 将軍を討ち取ったとされる場所だ。

由々しき事に・・・アルマラカルへ続く本道から西の脇道に逸れて、

さらに離れた農道を進んで、メガロポリスへ逆走していた事も明らかになったのだ。


逼迫した状況にジュネイたち騎士が対応を考えあぐねているところへ、騒ぎが起こる。

荷車から取り外した側板を担架代わりに狂女を縄で括りつけて運んでいたのだったが、

不意に首を振り乱し、激しく暴れた弾みで地面に頭から落ちて、息絶えてしまったという。

一時は騒然としたが騎士からは放棄を許されたので、

担ぐ煩わしさから解放された人夫たちはむしろ喜んでいた。


「とにかく、後戻りして結界を目指すよりも一旦、本隊と合流を目指しましょう」


騎士たちの意見が一致し、隊は墓地へは入らずに、本道へと戻る。

墓地へ続く一本道であるから、必ず本道である街道に出られる筈なのだ。 ・・・筈だった。


「どういうことだ!!」


先程は墓地の南側で、今度は墓地の北側に出てきてしまっていた。

騎士たちは苛立ち、ルナンサンと人夫たちにも困惑と、些か疲れが見えてきた。

これは確実におかしい。墓地の外周に道は無い。墓地の北側に出ようと思ったら、

墓地内を通り抜けるか街道に出たうえで、北側へ通じる脇道に入っていく必要がある。

先程は墓地の南側であったのをルナンサンも確認している。

全員が見間違えるなんてことはあろう筈もない。

騎士からは探索範囲を広げて、本隊と連絡を取ることを試みる提案も出た。


「狩りをする獣は、獲物に覚られぬように付け狙う・・・、

 群れから外れた獲物は格好の餌食として、第二に弱った獲物を狩るのだ」


とても危険だとしてジュネイは認めず、墓地の方を向く。

皆が心に抱きつつも、言葉にすることを躊躇っていたことであった。

ここに迷い込んだのは偶然ではなく、誘い込まれた・・・とすれば。


「魔法には幻を見せたり、方向感覚を狂わせる術があると聞いたな・・・」


おそらくはセルジオ殿の騎士たちが遭遇した魔物か、別の魔物の出現。

或いは、城を覆う結界を張った張本人の可能性をジュネイは考えていた。


「疲労困憊し、隊の気が緩んだ間に攻撃を受けて統制が乱れれば、脆い」


だが、このままでは埒が明かない。

彷徨い続けるより脱出の手掛かりを探るために、墓地へ踏み込むことに決まった。


「もう日が沈む。本隊も我が隊の行方が知れないことで、対応を迫られておろうな・・・」


神聖な教義を修めた神殿騎士といっても、魔物と魔法の戦闘は皆無だ。

加えて実戦の経験も乏しい貴族の子息らであるが、これ以上は手を拱いてはいられない。

ジュネイたち神殿騎士は意を決し、臨戦態勢を整えさせた。

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